あれからどうにか話を続けた結果、私は三歳のころからピアノ教室に通っていてコンクールで何度も賞を取ったことのある人物になってしまった。(ちなみに設定上、父はサックス奏者、母はヴァイオリニストになってしまっている)
 もうここには来れないな、ウソがばれて恥をかく前に帰ろう。などと思っていると、男が奇妙なことを言い出した。
 「実は自分は泥棒なんです。」
 え?いきなり何を言い出すのだろう。頭からバーボンなんて飲むから、アルコールが回ってしまったのだろうかこの男。
 「あ、いや。真に受けずに話半分にきいてください。まぁ酒の席のご愛嬌ということで、少し昔話に付き合っていただけませんか。」
 男はそう言って語りだす。目じりのシワが目立つ。

 男は20代のころ、スリの常習犯だった。職には就かず、たまにするアルバイトとこれで生きていた。交際している女性はいたが、そんな生活をしている男について行くはずなどなかった。
 男は後悔していた。ピアノ弾きになろうとしている時期もあったが、どうしてか今ではこんなひどい生活だ。いつかはまっとうに生きなくてはならない。

 ある雨の休日。中野のアーケードには色とりどりの傘が開いて閉じて。まるでパレードの様だ。
 二丁目の角に大きなトラックが止まっていることに気付いた。どうやら新しくできた楽器店に荷物を搬入しているようである。男は様子を見に行ってみる。
 男はショーウィンドウにおいてある品物に目がとまる。ピアノである。男はピアノ弾きを目指していた時期がある。だから一目見てピンときた。スタインウェイのビンテージだ。ピアノを齧ったことがあるものならだれでも憧れる品物だろう。
 男は目がくらんだ。あのピアノを弾きたい。あのピアノを、自分は誰よりもうまく弾けるのに。
 あのピアノを弾きたい。自分のものにしたい。自慢のとっておきバラードだってあるんだ。それを聞いたら出ていったあの子も、落ちぶれてしまった自分を見直してくれる筈だ。
 あのピアノを手に入れて、自分の今までのくそったれな人生をやり直したい。こんな人目を避けてコソコソ生きるのはもう嫌だった。

 しかし、あんなものを手に入れる金があるはずもない。盗むにしても、自分はただの巾着切りだ。あんな大きな品物を盗むなんて漫画やアニメの世界だけの話だ。現実的ではない。
 それならば、少し弾くだけならどうだろうか。いや、間近で眺めるだけならどうだろうか。それなら可能なのではないか。
 男は店員にその旨を伝える。あのピアノを弾かせてくれ。
 しかし、どうやらあのピアノは高価なもので、購入者以外触るのは御法度であるようだ。代わりにほかのピアノなら触ってもいいと言われた。それではだめなのだ。あのピアノでないとダメなのだ。
 そうなると、男に手段は一つしかなかった。
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